暮らしメモを始めた私のプロフィール

はじめまして。暮らしメモ発信者の恵子と申します。
62歳、地方の小さな一軒家で暮らしています。
夫は10年前に別れ、今は社会人になった2人の娘と、小型犬のココアに囲まれた日々を送っています。
趣味はガーデニングや手作り小物、月に一度のコミュニティセンターでの趣味講座も楽しみのひとつです。
気配りは得意だけれど、何ごとも完璧にはできないタイプ。
だからこそ、同年代の友人たちと話す中でよく出てくるのが、
「分かってるけど、難しそうで進まないのよね」という言葉。
そして私自身も、まさにその「進めない側」の一人でした。
このブログは、「難しいことは後回しでもいい。でも、できるところから始めてみたい」という方と一緒に歩むために作りました。
エンディングノートという言葉には、重くて専門的で、どこか構えてしまうようなイメージがあるかもしれません。
でも、私が発信している「暮らしメモ」は、そんな堅苦しさを取り除いて、もっと暮らしの延長線で書けるものです。
完璧じゃなくても、自分にも家族にもやさしい情報整理はできる。
そんな実感を、少しずつでもお伝えできたらうれしいです。
エンディングノートに挫折して気づいた「壁」
今から数年前、書店で「そろそろきちんと準備しておこう」と思い、あるエンディングノートを買いました。
そのきっかけは、周囲の友人たちとの何気ない会話。
「いつかはやらなきゃね」「でも難しそうよね」
みんながそう言いながらも、手が止まっている様子に、「私だけじゃないんだ」と妙に安心していたのを覚えています。
ところが、いざノートを開いてみると、難しくて見慣れない専門用語ばかり。
どの項目も「ちゃんと調べてからじゃないと書けない」ものばかりで、1ページ目すら書けないまま、そっとクローゼットにしまってしまいました。
「これは、私にはまだ早かったのかも」
そう思った一方で、「これが必要になる日」は確実にやってくるという気持ちも、ずっと胸の奥に残り続けていました。
何が難しいのか、自分でも整理してみたところ、こんなことに気づいたのです。
- すべての情報を完璧に書こうとしていた
- 正確さばかりを気にして手が止まっていた
- 必要な情報の優先順位がつけられていなかった
この経験があったからこそ、私は「完璧じゃなくていい」「まず書けるところから」と発想を変えるきっかけになりました。
そして、暮らしの中のことをもっと気軽に書けるノートが必要だと強く感じたのです。
旅行中の娘とのやり取りで実感した暮らし情報の大切さ
ある日、久しぶりに娘たちと旅行へ出かけました。
ホテルに着いてゆっくりしていたところ、スマホに次々とメッセージが届いたんです。
- 「Wi-Fiのパスワードって何?」
- 「冷蔵庫の鍵どこにある?」
- 「ココアのごはんって何時だったっけ?」
連絡の主は、家で留守番をしてくれている次女の夫でした。
事前に伝えていたつもりでも、やっぱりいざというときに情報が揃っていないと、頼る側も戸惑うんですよね。
最初は笑って返していた私も、
何度も続くやりとりに、だんだん不安がこみ上げてきました。
「私がいなくなったとき、この家のことって誰が分かるんだろう?」
Wi-Fi、電気、ゴミの日、庭の水やり、ココアの通院予定。
暮らしの中には、家族だからこそ知っておいてほしいことが本当にたくさんある。
でも、それが頭の中にあるだけで、何も残っていなかったのです。
このとき、私はようやく気づきました。
自分の安心のためにも、家族の安心のためにも、暮らしの情報を「書いておく」ことが必要だということに。
しかもそれは、難しいノートじゃなくていい。
ちょっとしたメモでも十分役立つ。
その気づきが、今の「暮らしメモ」につながっていきます。
紅茶を蒸らす時間で書いた1行が、私を変えてくれた
その後、私は「またノートに挑戦してみよう」と思い立ちました。
でも、以前のような分厚いエンディングノートではなく、近所の100円ショップで買った小さなノート。
何を書くかも決めず、紅茶を蒸らしている3分の間だけ、思いついたことを1行だけ書く。
そんなゆるいやり方で、私は再スタートを切ったのです。
たとえば、こんな内容です。
- Wi-Fiのパスワード(ルーターの裏の番号)
- 灯油ストーブの使い方と片づけ時期
- 粗大ゴミの出し方(市の指定袋が必要)
最初は「こんなの書いて意味あるのかな?」と思っていたけれど、
書いてみると、意外と「忘れてた」「これ知らないかも」と思うことばかり。
1行だけでも、「書いた」という事実が自分の中の安心につながっていくのがわかりました。
私はこのやり方を「3分ルール」と名づけました。
決して立派なものじゃなくていい。
お湯を注ぐような感覚で、気軽に暮らし情報を書きとめる。
そのゆるやかさが、私のように「ちゃんとできない人」にとって、なにより大切なのだと実感しています。
ノートの中は、いまだに空欄だらけ。
でも、それでいいと思えるようになったことが、何より大きな変化でした。
空欄だらけでも役立ったノートが教えてくれたこと
この「暮らしメモ」を考え始めた頃、ふと、昔ご近所の先輩から聞いた話を思い出しました。
「母親が残してくれたノートは、ほとんど空欄だったの。でも、それでも十分ありがたかったのよ」
その方は、親御さんが生前に書きかけていたノートを、大事に引き継いだそうです。
びっしり書かれていたわけではなく、ほんの数ページ。
けれど、そこに書かれていた情報。
- 行きつけの店の名前と電話番号
- 季節の飾りつけのタイミング
- 好物の銘柄や買い方
そんな些細なメモが、「あのとき、何をどうすればよかったのか分からなかった」という家族の不安を少しずつ解いてくれたそうです。
そのエピソードを思い出したとき、私は確信しました。
たとえ空欄だらけでも、「書いてくれていた」事実が、家族には伝わるということ。
完璧でなくてもいい。
むしろ、手が止まりがちな人にこそ届く形であることが大切なんだと。
だから私は、自分にも、同じように立ち止まっている誰かにも、
「書けるところだけ」「思いついたときだけ」でいいから、暮らしのメモを残していこう、と伝えたいのです。
エンディングノートを完璧じゃなくても伝わる「暮らしメモ」に
これまでの経験から、私は強く思うようになりました。
情報を「きちんと整理する」ことは大切だけれど、それが理由で手が止まってしまうなら本末転倒だということ。
私たちの世代は、「ちゃんとしなきゃ」「迷惑をかけちゃいけない」と思う気持ちが強く、
だからこそ、余計に何も始められないことが多いのです。
でも、本当に家族が助かるのは、
- Wi-Fiのパスワード
- ペットのかかりつけ病院
- 庭の水やりの頻度
- ゴミ出しの曜日
……そんな暮らしの小さな情報だったりします。
専門的な知識や法的な手続きをまとめる必要はありません。
「家のことがわかる」だけでも、家族にとっては本当に心強い。
それなら、「暮らしのメモ」だけでいいじゃない。
完璧を目指すのではなく、伝わること・残すことを大切にしたい。
私はこの考え方を、もっと多くの人に広げていきたいと思っています。
そして、特に60代の女性たちが「これは私にもできる」と思えるような、そんな優しいノート文化をつくっていきたいのです。
同じように手が止まっているあなたへ
もし今、あなたがこのページを読んでいて、
「エンディングノートを書こうと思って買ったけど、手がつかない」
「何から書けばいいのかわからないまま、ノートがしまいっぱなしになっている」
そんな状態なら、きっと私と同じところで立ち止まっているのだと思います。
私も最初は、「全部きちんと埋めなきゃ意味がない」と思っていました。
でも、そんなプレッシャーが逆に手を止めていたのです。
やがて気づいたのは、エンディングノートは立派じゃなくても、暮らしの情報だけでも十分に役立つということ。
家族が本当に困るのは、Wi-Fiのパスワードやごみ出しのルール、ペットのことなど日々のことだったりします。
たった1行の暮らしメモが、家族を助けるエンディングノートになる。
このブログは、そんな「完璧じゃなくても伝わるノートづくり」を応援しています。
暮らしの中で気づいたときに、1行だけ。
紅茶を蒸らす時間や、買い物帰りのついでに、少しだけ。
「できたところまで」で大丈夫。
あなたの暮らしメモが、いつか大切な人の安心になりますように。